目次
- 健康経営度調査に追加された睡眠評価項目の解説
- 不眠大国日本
- 企業での睡眠実態
- なぜ私たちに睡眠は必要なのか
- 睡眠を犠牲にするとどうなるか
- 睡眠が企業経営と社会に与える経済的インパクト
- まとめ
1.健康経営度調査に追加された睡眠評価項目の解説
経済産業省が力を入れている健康経営、令和5年度も引き続き健康経営度調査の生産性向上に有効な施策の1番目に「睡眠」が追加されています。
睡眠は私たち人間のみならず生物が何万年も繰り返してきた生理現象で、特に人間においては健康に生活および生産性高く仕事をする上で欠かせない行動です。人間は眠らないと約2週間で死ぬことも分かっており、断眠をして4日目くらいには幻覚症状がでてくるという実験結果もあります。
良い睡眠というのは、睡眠時間、睡眠の質、睡眠のリズムという3つで構成されています。
現在の最新の医学的な見解をお伝えすると、最適な睡眠時間というのは個人差が大きく「日中の仕事や生活に支障がない時の睡眠時間がその人にとっての最適な睡眠時間」と考えられています。
睡眠の質に関しては、どのような起きている時や寝る前の活動や食事内容が睡眠の質にどのような影響をあたえるのかと言った知識を調査票の3つ目にある睡眠セミナーを実施して、睡眠リテラシーを向上することが必要です。更にその睡眠衛生習慣を個人の生活に定着させるということが中々難しく、そのために5つ目にある睡眠改善アプリ等の活用が推奨されています。
健康経営における従業員の生産性低下防止のための施策として今年も睡眠の項目が掲載されておりますのでその簡単な解説を青字でさせていただきます。
- リフレッシュルームや仮眠室の設置の有無
- パワーナップ等仮眠制度の導入の有無
1と2はとても重要な取り組みです。現代の日本のビジネスパーソンで十分な睡眠時間を確保出来ている人は一握りで、多くの方は慢性的な睡眠不足で悩んでおります。どう頑張っても本睡眠を確保できない場合やシフト勤務で夜勤などがある場合には身体にはとても負担がかかりますので、適切に仮眠をとることで脳を休めることが出来ます。目を瞑るだけでも脳は休まりますので、5分でも時間が空いたときには目を瞑ることを意識しましょう。仮眠のポイントは4つです。1つはタイミングで、本睡眠の8時間くらい前からは仮眠は避ける(本睡眠が深夜0時の場合は夕方16時以降の仮眠は本睡眠に悪影響を及ぼすので避けましょう。帰りの電車で寝るなどはNGです。2つ目は長さで、仮眠の場合はその後起きて仕事をすることが前提になりますので深い睡眠に遷移しては眠りすぎです。浅い睡眠ステージの時に起床するように15〜30分以内に抑えましょう。3つ目は姿勢で、本睡眠のように横になってしまうと深い睡眠に移りやすくなるのでソファーなどを利用して仮眠しましょう。4つ目は仮眠前のカフェイン摂取です。カフェインは摂取30分後くらいに効果が出始めるので仮眠前に摂取することで起きてからパフォーマンス高く仕事が可能です。余談ですが、カフェインは眠気そのものを無くす訳ではありません、眠気の物質(アデノシン)が脳に作用する箇所をカフェインがブロックして感じなくしているだけなので根本解決にはなっていないので過信しないように注意しましょう。 - 睡眠に関するセミナー実施の有無
弊社でも睡眠セミナーを実施しておりますが起きている時のどのような行動が睡眠にどのような影響を与えるかなどの睡眠衛生リテラシーを向上させることが重要です。いくつか知識をご紹介させていただきます。睡眠の質は身体の内側の深部体温、起床時の光と朝食による親時計と子時計のリセットによる睡眠覚醒リズムなどによってコントロールされています。同時に親時計がリセットした15時間後くらいにメラトニンの分泌が強まり眠気を感じますが、多くのビジネスパーソンは帰宅後に明るい部屋で過ごしてしまいメラトニンの分泌を阻害してしまい眠りの質が下がってしまいます。帰宅後は暖色系の明かりの環境で過ごすことがオススメです。また多くのビジネスパーソンが寝る前に今日あった出来事を振り返っています。寝る前に頭に抱いている内容は睡眠の質に大きく影響しますので、できる限り眠る前はストレッチや漸進的筋弛緩法などを実践して身体と心をほぐしましょう。また寝付きに1分もかからないのは慢性的に睡眠足りていない証拠ですので決して自慢にはなりません。3〜10分くらいかけて微睡みを感じながら徐々に寝付くのが正常な寝付き方になります。
このようなスキルは社会人からでも遅くはないと同時に特別な脳力がなくても上達ができる技術ですので決して諦めないでください。 - SAS(睡眠時無呼吸症候群)検査の実施の有無
睡眠時無呼吸症候群になると日中に強い眠気などが襲ってきます。これは明確な病気ですので、同居人から「いびきがうるさい」「呼吸が止まっている」などと指摘され、日中に眠気で仕事が捗らないなどの自覚があるときには簡易検査などを受けて会社の産業医などに相談しましょう。 - 睡眠改善に関連するアプリ等の利用の有無
3つ目の睡眠セミナーなどで知識を得ても、それを生活の中に取り入れて実行しない限り睡眠は改善しません。睡眠習慣を改善するためには適切なアプリや寄り添った伴走支援が効果的です。弊社でも睡眠改善プログラムBIZをご提供しており多くの企業からご満足のお声を頂いておりますのでお気軽にお問い合わせください。 - 産業医等による睡眠関連指導実施の有無
50人以上の事業社であれば産業医の在籍が義務化されております。睡眠障害は後述の通り様々な疾病の根本原因になりますし、メンタル疾病とは90%以上の相関性がありますので如何に睡眠の症状で罹患を予防するかが重要になります。弊社でも睡眠の状態でメンタル疾患になる前に予兆するMySleepというパーソナライズ睡眠レポートを提供しておりますのでご検討ください。
2. 不眠大国日本
この健康経営度調査に睡眠が評価項目として追加された背景としては、日本が世界各国に比べて不眠大国だということが大きな理由の1つだと考えています。
OECDの調査で、日本の睡眠課題による経済損失は年間なんと15兆円、グラフにあるように世界で最も睡眠時間が短い国でGDP比で3%というワーストな記録をしております。
睡眠時間を各国と比較しても、2018年から韓国を抜いてワースト1を記録しております。
3. 企業での睡眠実態
次に、産業現場に特化してビジネスパーソンの睡眠実態を見ていきましょう。
こちらは弊社が毎年行っている睡眠負債実態調査の結果になりますが5000人を対象にしたアンケートでビジネスパーソンの6割以上がどの年代においても睡眠に不満を抱えています。
また、平日と休日の睡眠時間および起床時間が大きくズレる現象がどの年代でも発生しています。
この現象を社会的時差ボケ(ソーシャル・ジェットラグ)といい、肥満と高い相関率があることが研究結果から知られております。
更に睡眠課題の種類をみると若年層で起床困難、年齢が上がるほど中途覚醒、またどの年代においても「寝ても疲れがとれない」という睡眠の質に問題がある熟睡困難が一定程度存在しております。
4. なぜ私たちに睡眠は必要なのか?
一昔前は、24時間働けますか?という栄養ドリンクのCMが注目された時代もありました。
余談ですが、高度経済成長期は睡眠時間が短くても経済成長出来ていた事実がありますが、それはなぜでしょうか?とよく聞かれます。その答えはその時代は同質性の高い仕事、製造やオペレーションが仕事の多くを占めており、時間をかけるほど経済成長できる時代だったからです。しかし少子高齢化の時代に突入して人口が減少していく中では、如何に限られた時間で生産性の高いクリエイティブなパフォーマンスがだせるかが経済成長の肝になってきいます。そういった時代では集中力や創意工夫やクリエイティブな脳力が求められ、それを実現するためには脳と心の休息つまり睡眠が必要な時代になったということです。
話を睡眠の役割に戻します。
睡眠というのは前半と後半で役割が異なっており、前半は脳と身体の休息が行われており、成長ホルモンやメラトニンが分泌され、それぞれ、疲労回復、免疫力向上、身体の成長、活性酸素の分解や癌の抑制が行われており、認知症の元となる悪性タンパク質βアミロイドがグリン・パティックシステムにより除去されているということも最新の研究で解明されてきています。最近、認知症の薬なども発売されましたが、しっかりと睡眠を確保していさえすれば医療の領域に行かなくても認知症を予防できることが期待出来ると考えています。後半には心の休息やストレスの解消が行われており、昼間あった事実とそれに紐づいた感情が整理される役割が果たされています。おそらくみなさんも多くの方が何度も経験されていると思いますが、ネガティブな出来事があっても寝たらスッキリしたという経験があると思います。それは主に睡眠後半にあらわれるレム睡眠が重要な役割を果たしているからです。現代社会はストレスとの戦いと言っても過言ではありません。十分な睡眠時間を確保できないとこの後半のレム睡眠が確保できないのでストレスを整理出来ないまま、職場に出向いてしまい雪だるま式にストレスが蓄積されてしまい終いにはメンタル疾患になってしまいます。これらは解明されている睡眠の役割のほんの一部ですが、私たちが仕事をする上で如何に睡眠が重要かがご理解頂けたと思います。
余談ですがメジャーリーグで活躍されている大谷翔平選手が睡眠を10時間確保していることは有名な話です。彼のようなアスリートは日頃の練習を効率的に身体に記憶させるために睡眠を確保した方が効率が良いことを身体で理解しているのでしょう。ちなみに日頃の練習など身体で覚える記憶を手続き記憶といいそれは睡眠の後半で定着され、文字で表現できる英単語や歴史などの記憶は宣言的記憶といいそれは睡眠の前半で定着されることが分かっています。つまり受験生は暗記科目は寝る直前に勉強をしたほうが記憶に定着し易いということです。受験生のみならずリスキリングされているビジネスパーソンもしかりです。
5. 睡眠を犠牲にするとどうなるか
1つ目は、睡眠不足により脳の扁桃体という部分が過剰反応してしまうことにより、怒りっぽくなったり、他人の悪いところが中心に目につきやすくなります。更に頭頂葉という、事実に基づいて情報処理をする部分の働きが低下することにより仕事で事実確認を怠ったケアレスミスなどが発生します。このような現象は本人の意思とは関係なく無意識に発生してしまうので産業現場でこのような光景を見かけたときには根本的な背景である睡眠を見ることが重要となります。
2つ目は、マイクロスリープが発生します。
マイクロスリープというのは無意識の数秒間の居眠りですが、文章を読んでいる時に無意識で同じ箇所を2回読んでいた、気づいたらBackSpaceキーを押したまま寝ていて文字が全て消えていたという現象がオフィスワーカーの場合発生しますし、トラックやバスなどを運転される方は気づいたときには事故を起こして他人の命も奪ってしまったということが発生します。近年、このような運転職の方々は今回の健康経営度調査の4つ目にあるSAS(睡眠時無呼吸症候群)の検査が義務化されています。
これ以外にも、歴史を振り返ると1986年のチェルノブイリ原発事故、同年の米スペースシャトル「チャレンジャー号」爆発事故などはいずれも睡眠障害が起因のヒューマンエラーが原因だったことが知られています。
3つ目は、将来の健康リスクが悪化するということです。
こちらに記載してあるように、睡眠障害(不眠症、睡眠覚醒リズム障害、睡眠不足、睡眠時無呼吸症候群)は多くの疾病(高血圧、糖尿病、生活習慣病)の根本的な原因になっており、平日と休日の起床時間が数時間ずれる社会的時差ボケは高い確率で肥満の原因になることが知られております。更にうつ病などの精神メンタル疾患は90%の方が睡眠障害を患っております。更に厄介なのは一度うつ病を発症すると高い確率で再発することが分かっていますので産業現場では重大な損失になるので最も予防するべき疾病の部類になります。うつ病というのは非常に高い確率で初期症状として睡眠悪化がみられます。それを早めに知り予防することが最も大切な心がけです。
最後4つ目は、直ぐに症状としてあらわれず数年〜数十年後に、医者からの診断で初めて知る事になる認知症と癌の罹患リスクの増加です。
前半の睡眠の役割の箇所で言及しましたが、慢性的な睡眠不足は認知症の発症リスクを増加させます。左の図はイギリスの成人8000人を対象とした25年に渡る追跡調査の結果ですが、短時間睡眠を継続すると認知症発症リスクが30%増加することを明らかにした研究論文です。
右の図は、不規則勤務の継続が中長期的に大腸がん、肺がん、子宮内膜がん、乳がん、前立腺がんの発症リスクを上げるということです。これも認知症と同様、数年から十数年後に発症する傾向があります。
6. 睡眠が企業経営と社会に与える経済的インパクト
① 睡眠改善の効果は年間一人あたり12万円
② 睡眠時間の増加と質の向上は中長期的に企業の利益率向上につながる
2022年5⽉に慶應義塾⼤学の⼭本勲教授の研究で、上場企業700社を対象にした調査で睡眠の量および質をしっかり確保している企業ほど利益率が⾼い統計的優位性が⽰されました。更にその効果は1〜2年後に表れてくるというのも興味深い研究結果です。
7. まとめ
睡眠というのは基礎研究の領域でもまだまだ解明されていないことが多く謎が深い分野です。
しかし、私たち人間が健康に生活やパフォーマンスが高い仕事をするためには必要不可欠であるという事は間違いありません。特に、産業現場の日本のビジネスパーソンの睡眠は世界と比べてとても悪い状況です。
日本の持続的な健康と経済成長を実現するためには、産、学、官、民、どれ1つ欠けても実現することは出来ません。
政府がリーダーシップをとって、勤務間インターバル制度を義務化し従業員がしっかりと睡眠時間を確保できる仕組みを構築し、また朝型・夜型という遺伝子レベルで生まれつき決まっている個人の睡眠特性を尊重した働き方を許容するフレックス制度の普及も必要です。更に睡眠リテラシーを向上させるために、厚生労働省が2014年に策定した健康づくりのための睡眠指針 2014の、特に産業現場での普及が急務です。
また、アカデミアの研究機関では、基礎研究を初め、眠りのメカニズム解明や、睡眠が実社会に及ぼす経済的メリットの研究、病気になってしまった後の臨床研究の発展も必要不可欠です。
更に、民間企業では、産業医を設置し戦略マップに基づいた健康経営の推進や、睡眠リテラシー向上をさせる睡眠セミナーの実施、働き方改革の推進が必要です。
最後に、国民個人(従業員)は、国が定めた法律と会社の就業規則に従って働くわけですが、そのような「自分では変えられない環境」でも、できる限りセルフケアを実行し、健康保険制度に甘えない生活習慣の行動変容をして自律した健康管理が必要です。
この4つが、包括的に歩み寄ることによって、初めて持続的な国民の健康と、日本の高い経済成長が実現できると考えています。
執筆者 小林 孝徳(こばやし・たかのり)
株式会社ニューロスペース代表取締役社長
一般社団法人 日本睡眠教育機構認定 上級睡眠健康指導士,Forbes Japanオフィシャルコラムニスト著書:ハイパフォーマーの睡眠技術 Sleep Skill(実業之日本社)
自身の睡眠障害の実体験をもとにこの大きな社会課題を解決したいと決意し2013年に株式会社ニューロスペースを創業。これまで健康経営や働き方改革を推進する企業130社2万人以上のビジネスパーソンの睡眠改善を支援。一人ひとり最適な答えが異なる睡眠を、如何に楽しくデザインし改善できる仕組みづくりを専門としている.